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修了生の皆さんへ

掲載日:2014/03/25

 本日、大学院の課程を修了し、修士の学位を取得された985名の皆さん、専門職学位を取得された43名の皆さん、博士の学位を取得された201名の皆さんおめでとうございます。素晴らしい研究の成果が得られ、学位を授与されましたことに心からお祝い申し上げます。またご臨席賜りましたご来賓の方々に心からお礼申し上げますとともに、ご列席のご家族そして関係される方々に心からお慶び申し上げます。

 皆さんはそれぞれいろいろな分野で研究をされたわけですが、その間に研究に注がれたあなた方の莫大なエネルギーがそこにあったことを感じます。そのような日々を過ごされてきた皆さんのことを大変誇りに思います。

 研究をされるということにはそれぞれいろいろなプロセスがあると思います。まず研究するに至る動機があると思います。研究をしてみたいという気持ち、自ら持った疑問を自らの考えで答えを出したいという希望、何らかの未解決な課題に遭遇して、その解決のために半ば自分への強制のようにして生じたせねばならないともいうべき動機もあると思います。そして、様々な可能性を探りながら、疑問を解くための手法を考え、進めるべきデザインを考えて研究が始まると思います。それがどのようなものであっても、研究が始まれば、その基本は自ら知りたいと思っていることに挑戦しその答えに近づく作業が進行していくのだと思います。たとえばある人は"生命の誕生や死滅していくことの機序の解明" ということへの挑戦であったり、ある人は"自然界のバランスと崩壊"に関する研究であったり、ある人は"人間の歴史の流れの実証とその背景にある要因、例えば宗教や政治や民衆の考え方の解明"であったりするかもしれません。それら一つ一つは極めて精密に進められ、解明に向かって進んでいくものと思います。今、私は極めて簡単に申し上げていますがそれぞれにはきわめて高度なレベルの志という情熱があり、課題解決のためのいろいろな高度な技術が求められ、そして実践されていくためにまさに多大な努力が必要とされるのだと思います。そのような努力の結果としてある幸運も手伝ってそれぞれの領域で追い求めてきた答えが生まれてくるのだと思います。もちろん自らが納得する答えに遭遇しないこともあるでしょうし、たとえそれが真実としても、自らの描いていた答えではない、あるいは追い求めていた結果への遭遇でないということもあるでしょう。まさに期待が裏切られたとさえ思いたくなる時であるかもしれません。しかし、そのことは考え直してみればまた新たな挑戦を生み出すことにつながることもあると思います。遭遇した一連の事実は多くの方に読まれ、知られるために、世界に向かって論文という形や専門家の仲間への報告という形で語りかけ、納得されたり時に異論が出たり、時には広く社会に役立たせるために社会に語りかけるというということもあるでしょう。そして時にはその成果が役立つものとして社会に受け入れられることもあるでしょう。

 これら一連の研究という作業から得られるものはこれだけではありません。このプロセスから新たな学びを得ることは重要な成果でもあると思います。

 研究をするということから新たな学びをすることに出会ったと思うこともあったと思います。単に今まで知らなかった数値や事実を知るということだけではなく、研究の結果の持つ多彩な機能ともいうべき意味を学ぶこともあったと思います。

 ここに研究のもつ多彩な機能として一つの例を考えてみましょう。人間を含めて生命の命が絶える、死という現象について考えてみましょう。医学的、生物学的には死はいろいろな指標によって極めて正確に判断することが出来るようになっています。たとえば心臓の拍動がない、呼吸がない、瞳孔の反射がないなど確立された指標で死を判断することが出来ます。それは単なる人の観察によるものだけではなく、多くの機器を用いてそれらを実証することによって判断されます。しかし個体が多数の、多彩な役割をもつ細胞から成り立つことを考える時、個体の死は細胞の死をも確実にして判断される必要のあることもあるかもしれません。これらの課題に対して研究者が新たな指標を見つけるということがあったとします。そして新たにその指標の運用を考えるとします。ここでその指標を実際に運用しようと考えた時、生物学的な死だけではなく、その人の死をとりまく人々の考えや、行動を考慮しなければならないといういわば、死に対する慣習のようなものの存在も考える必要があると思います。例えばその現象の一つとして死者を知る多くの人々によってその死を悲しむということが起こると思います。その悲しむ人にとって生物学的な死というのは単なる一つの指標であって、その指標によってのみその人との歴史を閉じられることに抵抗があったとしても不思議ではないと思います。悲しむ人たちにとってその人との数十年という年月を共に生きてきた、その間に触れ合った人々との別れが生物の死とは別にある死でもあると思います。これを生物学的な死に対比して"語られる死"ということを提言される人もいます。すなわち研究の成果として生物学的な死を立証することは大切なことは勿論ですがそれのみでその人の死を語ることは十分ではなく生物学的な死を万能として語るだけではその人の死を語ることではないというむずかしさを学ばねばならないと思います。このようなことは常に他の部門でもあることだと思います。このように自分の研究のもつ多彩な意味、機能をどのように位置づけて考えなければならないかを学ぶことが大切であるといえると思います。即ちある発見なり、研究の成果なりは常に社会の営みの中にあるということを知り、その社会の中でバランスよく機能していくことを考えるということではないかということです。そのためには単に自らの専門領域だけではなく、いろいろな考え方を学ぶことが大切だと思います。その学びを通して、その成果がどのような役割を果たすものであるかを知ることができるのだと思います。それが研究をすすめる中で研究からの学びの大きな要素であると思います。

 そのような考えを支えるために何が必要でしょうか。それは単に自分の領域に固まるのではなくほかの学問分野を知り、学びながら常に自らの研究の持つ意味を考えられる人であってほしいと思います。そうできることが真に研究が人類に役立つ道を開くことになると思いますしそれは研究者の役割であると思います。

 そして、"得られた成果が人間社会に役立つという視点で語れる人になれ"ということをメッセージとして送ります。

 最後にこれからの皆さんのご活躍を先輩も、後輩もそしてわたくしたち教員も職員も期待していること、そして学び舎はいつもあなた方を待っていることを忘れないでください。 このことをお願いして大学院修了の告辞といたします。

平成26年3月25日
千葉大学長 齋藤 康